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【新潮文庫】北氷洋~The North Water~【感想】

 書店に行き、偶々手に取ったのがこの北氷洋である。
 パラパラと読み、買おうと買った次第だった。
 大抵の場合においてはパケ買いした物は後回しにしがちなのだ。それは他に読むものがあるからだが、今回これは文章があまりにも好きすぎてちまちまと読んでしまった。
 文庫としては長い方だと思うし、挿絵もない。
 現在の人にとってはもしかしたら文字がギチギチと詰まっていると感じるかもしれない。

 

北氷洋―The North Water―(新潮文庫)

北氷洋―The North Water―(新潮文庫)

 

 
 著者はイアン・マグワイア
 翻訳は高見 浩である。

「内容はバイオレンスだし、翻訳特有の独特な部分はある。向かない人はいるだろうな。けど面白いな」

 海外の翻訳なので、独特のな言い回しと地の文なのは良くある事だ。
 だがそれがまたいいのだ。
 僕はどちらかというと胡乱な言い回しや比喩を好む。
 また圧迫するような文章が好きだ。
 もっともシンプルな文章はそれはそれで良い。どちら共に良い部分がある。
 これは人それぞれ好みがある部分だろう。
 また内容は暴力的なのが多い。
 その為、向く人・向かない人はいる。僕は本の虫であり、だからこそ思うのだがそれぞれの本にはそれぞれ魅力がある。けれど合わない人が手に取るとそれは辛いと思う。
 もし向いてないと思ったら別の本を手に取り、いつか「今ならば読めるのではないか?」という時にでも手に取って欲しい。
 さて、ではどのような魅力がこの本にはあるだろうか。


19世紀という舞台背景によるカタルシスがある


 産業革命により、時代が加速的に変化していた時代でもある。
 機械化が進み、同時に捕鯨の需要が下がってきているのが小説の舞台である。

 北米でも当初は沿岸捕鯨から始まったが、資源の枯渇から18世紀には大型の帆走捕鯨船を本船としたアメリカ式捕鯨へと移行する。この捕鯨は主に油を採取し肉等は殆ど捨てるという商業捕鯨であり、クジラの全ての部分を利用するものではない
出典:捕鯨 - Wikipedia

 ウィキペディアによると、鯨からとれるもののうち、主として使われていたのは油である。しかしがら産業革命により、その油は別のものに取って代わられてしまった。
 これらは新しい何かが生まれれはいつも発生していた事だろう。
 何かのかわりでより安く、より早く、より良い物が出てきたのである。そちらに飛びつくのは自然の流れだろう。色々と生活模様が変化が激しい時代でもあったようだ。
 本作では初めのうちに少し生活模様が描写がされている。時代の波に流されないようにあがく様が分かる。しかしながらそれとは別の本でも確認をしておこう。
 例えば、都市部の中流家庭であるならばメイドや執事といった使用人が増えている。

 例のごとく拡大する繁栄は、その結果として使用人に対する需要の高まりを引き起こした。身分の低い人々も、可能な限り、裕福な隣人の例に倣うようになり、その世紀の中頃、一人の記者が『ザ・クラフツマン』の中で、「町では、仕着せを身に付けた使用人を持たない職人はまずいない」と不平をもらすほどであった。
出典:ヴィクトリアン・サーヴァント―階下の世界

 産業革命による変化は様々な場所であった。都市部では賃金の上昇はかなりあったのがうかがえる。
 これは小説の舞台になる場所でも変わらない。
 故にこそ、彼らはあのような手段――内容はぜひとも読んで確認をしてほしい――に出たのだろう。

尖ったキャラクターがいい

 そんな時代の話――しかも需要がなくなってきたもの達の話である。
 だからなのか。始めのシーンからして物騒である。
 なにせいきなり人を殺している。
 理性という制御装置を搭載していない。
 現在から考えたら、基本的に法治国家ならば衝動で人を殺すあたまなど考えられない。
 またぼかされているが、ドラッグスが行った行為……これはあまりにも非道であるが、後々に繋がるシーンでもある。しかしてあまりに非道である事は否めない。
 暴力が、生きている。幅を広げている時代である。混沌とした世界である。
 そんな世界で生きている彼等はだからこそ逞しく、また悪列だ。
 理性的な人間よりも、より原始的な、動物的である。欲望に素直といっても良い。
 もっとも鯨を取るとなるならばそれも当たり前だろう。自らより強い存在を狩るのだ。生半可な精神では行く事はすらしないだろう。度胸や攻撃性がなければいけない。
 しかしながら、その中で異例の経歴を持つのがサムナーである。
 元は軍医であり、色々ってこんな場所に来てしまった。
 そのうえサムナーは阿片狂いである。
 アヘン戦争が起こる時代である。
 今から考えるとおかしいかもしれないが、当時から考えると割と入手自体はそれほど苦労しなかっただろう。
 それに、戦争と麻薬は実に繋がりがある。
 であるならば彼の阿片狂いはそれほどまでにおかしな行動とは言えないのかもしれない。少なくとも弱い人間からすればけして非難できる行いではなかっただろう事は想像がつく。
 これらは現代人からすれば、忌避する事だろう。
 少なくとも日本という国で生きている場合、これを肯定する人間は普遍的ではない筈だ。
 しかして――もちろんフィクションであるならばとつくが――こうした尖ったキャラクターの事が僕は好きである。
 人は非道であるというかもしれない。またこれらを好む人間を忌避するかもしれない。無論のこと僕も作中で行われる行動を現実で行う事はやっていはいけないと思う。
 だがこれはフィクションである。非現実である。それを好む、好まないというもの自体はけして咎められることではない筈である。
 現代とてリングという中で安全性を確立した戦いだってある。それと本質な違いはない。
 故に様々な語彙と確かな文章力で書かれた、彼等の描写――尖ったモラルの無さや、欲望にまみれた姿は非常に心をささくれ立て、関心を寄せさせる。先を知りたくなる魅力が確かにあるのだ。

人の変化が激しい

 そうした尖ったキャラクター達が狭い世界で航海を続け、自然の脅威にもさらされていくのだ。先に進むにつれて彼らの関係は変化していく。
 複雑に絡み合った要素により、船の人間関係が変化していく。
 狭い空間でなおかつ同じ時間を過ごすとなると、人は勝手にヒエラルキーをつくるもだ。現代とて弱い誰かをつくり、鬱憤を晴らすなど良くある事である。僕も家では小さな頃に兄達にオモチャにされたし、中学では多勢に無勢のイジメを受けた。
 ならばこの時代はもっと酷かった筈である。
 だからこそ、その変化の度合いは激しく、短いながらも様々な事が起こる。
 この変化の模様は人の悪性を直視する事に他ならない。自らの汚れを見せつけられているような、人という種族の汚さを露わにし、我々は汚いのだと言われている気持ちになるかもしれない。
 だが――だからこそ僕は面白いと思う。
 僕は人の欲望が好きだ。
 それは原動力となり、新しい何かを生み出すだろう。
 無論の事、けして非道な行いを肯定しているわけではない。犯罪などもっての他だろう。しかし本はフィクションである。故にいくら非道な行いをしても、現実の肉体に傷がつく事は基本的には無いはずだ。
 それにだが……自覚しなければ、それを抑える事も出来ない筈だ。手の内にないものを操る事が出来ないように。
 故にそういった悪意を受けた身ではあるが、僕はこの関係性の変化が、面白いと思った。
 それぞれの人に背景があるのである。
 例えばサムナーがこうしてこの場にいるのは、軍医としての背景があり、これは作中にて語られているが、それ相応の理由がある。
 またこうしてこの場に捕鯨船がいる事も同じだ。
 ここにいる事はけして偶然ではない。必然である。人の欲望がもたらした結果にすぎない。

後半につれて悲壮感が増していく様がいい

 その結果として、後半につれて彼らは救いのない状態に陥っていく。
 偶然が重なった結果ではあるが、しかしながら元々の計画が成功していたとしてもほぼ結果は変わらなかったのかもしれない。仮に成功したとして得をしたのは一部である。上に立つものが、益を得て、下が損をするのは世の常だろう。
 とはいえ、だ。
 それの方が、まだ慈悲はあったかもしれない。
 あの終わり方は、あまりにも無情な終わり方だろう。
 人の手ではどうにもならない。どれだけ足掻いたとしても人は人以上にはなれないのだ。
 あまりにも大きな驚異と相対したら逃げるか、或いは耐えるか、命乞いをするかしかないのだ。
 そしてそれを乗り越えたとしても、待っているのはまた別の脅威である。
 しかしながら、それは是非とも読んだ人に確認してもらいたい。
 カタルシスは確実に得られるだろう。

まとめ

 あくまで本の虫としての感想に過ぎないが、本書の内容はけして安息や優しい世界などを求めている人が読むものではないだろう。
 しかしながら海の厳しい世界や19世紀の世界などを言葉をつくして表している。
 暴力的な世界観によるカタルシスは確かにある。
 それにこうした世界から、知れる世界もある。かつてを知り、想像を馳せるのは大切な事だ。他者の視点を得られるし、カタルシスだけでなく、多くの学び確かにある。
 これまで自分の所感を書いたが、改めておススメしたい人をまとめておきたい。

・暴力的な表現がOKな人。
・尖ったキャラクターが好きな人。
・歴史小説が好きな人。

 これらが受け入れられる人は読んでみてほしい。
 しかしながら、合わないと思った場合は是非とも自分に合った小説を読んでほしい。
 そしていつか読める時が来たのならば「そういえば、こんなのもあったな」程度にでも思い返してもらいたいと思う。